エホバの証人の献血拒否の偽善

エホバの証人の血液拒否

エホバの証人の輸血拒否の教義はそのユニークさのためか、かなり多くの人々が知っています。この教義は使徒行伝15:29に基づいています。(この聖書の解釈の問題点は別の記事でいづれ詳細に述べたいと思います。)しかしその一方でエホバの証人が、血液から抽出された様々の成分を「薬であって血液ではない」という理由で使っていることは余り知られていません。どの血液成分を「薬」と定義して証人たちに使わせてよいか、どの血液成分はやはり血液であるからそれを受け入れることはエホバのご意志に逆らうことになるか、その決定はすべてニューヨークの世界本部の統治体の一存で行われてきました。「血液拒否」の独特の教えは、それでも形の上では聖書の教えに基づいているように見えますが、それにともなう細かな教えになると、どこにも聖書の根拠がないばかりか、医学的にも科学的にも滑稽と言わざるを得ない矛盾と無定見に満ちた教えとなっています。現在のものみの塔協会が定めている「許される血液成分」と「許されない血液成分」をここに比較してみましょう。この区分は後に述べるように長年の間に変えられてきたものです。

許される:アルブミン、免疫グロブリン、血液凝固因子、心肺体外循環装置を通す患者自身の血液
許されない:全血、血漿、白血球、赤血球、血小板、自身に対する献血(自分自身の血液を後日の手術にそなえてとっておくこと)

なお、エホバの証人の世界で「許される」ということの意味は、言い換えれば「自分自身で判断して決めなさい」ということであり、「許されない」ということの意味は「これに従わなければ、あなたはエホバとその唯一の組織であるものみの塔協会から永遠の断絶をうける」、つまり排斥処分という、霊的な永遠の死を意味します。これは信者にとって肉体的死よりも何よりも恐ろしいことなのです。

ここではこの教義の多くの滑稽な矛盾の中から、そのほんの一例を紹介してみましょう。一体「許されない」血漿は何から構成されているのでしょう?それは93%が水であり残りはアルブミン、グロブリン、血液凝固因子、フィブリノーゲンなどの蛋白質の成分から構成されています。つまり「許される」成分を別々に受け入れることはエホバは許すが、それらを一緒にして水を加えた血漿になると絶対に「許されない」成分になってしまう、これは一体どういう「真理」なのでしょう?しかし全てのエホバの証人はこれを聖書に基づいた「真理」であり、命をかけて守らなければならない教えと信じきっています。

そもそも、もし血液を受け入れることが、たとえ人命を救うのであっても、絶対に許されない行為であると本当に聖書が教えていると信じているのなら、なぜ全ての血液成分を受け入れないという簡潔で矛盾のない教義にできないのでしょうか?この答えはエホバの証人の教義全体を考える上で非常に重要なことですが、ここでは疑問を提起するだけにとどめておきましょう。

献血拒否の偽善

エホバの証人の血液製剤に関する一貫性の無さは、単に滑稽な「真理」にとどまりません。ある時は、良心のあるものなら誰でも心を痛めるような偽善行為さえ行うことにいたるのです。エホバの証人は血液製剤の使用を許す一方で、献血をすることも輸血を受けることと同じように禁じています。1961年1月15日の「ものみの塔」誌では輸血も献血も、ともにエホバの教えに対する重大な違反であり、排斥処分で罰しなければならないとしています。そしてこの教義は今日までエホバの証人の教義の中心として堅く守られています。しかし考えてみて下さい。一体エホバの証人が使用する血液製剤はどこから来るのでしょう?それは全てエホバの証人以外の人々の献血した血液から作られるのです。献血拒否を輸血拒否と同じように絶対的な真理として一般信者に強要する裏で、エホバの証人以外の人々の献血した血液で作った血液製剤の大々的な恩恵を受けていることに沈黙を守るものみの塔協会統治体の態度。この典型的な偽善者の態度はRhグロブリン注射の例に最も顕著にあらわれています。

Rh免疫グロブリンの医学的背景

Rh不適合妊娠による新生児溶血性疾患はRh抗原を持たない母親(Rh陰性)がRh抗原を持つ胎児(Rh陽性)を妊娠出産したときに起こります。母体にとってRh抗原は異物と認識されますので、出産にともない胎児の血液が母体に少量でも取り込まれる結果、ほとんどのRh陰性の母親は最初のRh陽性の子供を出産後Rh抗原に対する抗体を形成します(これを感作されるといいます)。その結果二回目の出産からはRh陽性の子供は母親の血液に含まれる抗Rh抗体によって攻撃を受け、いわゆる胎児赤芽球症という重篤な状態におちいり、胎児の死や脳障害を含む胎児異常を引き起こします。1968年まではこれに対する有効な予防手段はありませんでした。しかしその年、Rh(抗-D) 免疫グロブリンを、感作された母体に早期に注射することにより、混入した少量の胎児の赤血球を破壊し母体自身が抗-D 抗体を形成することが高率に防げるようになりました。この血液製剤は、すでに感作されてしまい抗Rh抗体を体内で作っている多数のRh陰性女性の血液から精製されます。これによりRh陽性の胎児を妊娠出産したRh陰性の母親は、この注射を早期にうけることで二回め以降の妊娠出産も比較的安全に行うことができるようになり、世界的に胎児赤芽球症の頻度は大きく減少しました。

エホバの証人のRh免疫グロブリンに対する立場

この予防法が世界的に使われだした時、ものみの塔協会指導部はもちろんこれは血液であるからと言う理由で、他の免疫血清療法と同じように、エホバの法を侵害するものとして排斥処分を使って証人たちに禁止してきました。しかしエホバの証人の女性が次々に悲劇的な胎児の問題に直面するにつれ、指導部も「新しい真理」を作り上げなければなりませんでした。それに胎児赤芽球症の最も効果的な治療法の一つは交換輸血で、これこそエホバの証人のとうてい受け入れられる治療法ではありませんでした。1974年6月の「ものみの塔」誌(英語版351ページ)は、長年にわたる「真理」ひるがえし、血清療法は「個人の良心で決めること」(つまり別の言葉で言い換えれば「統治体はこのことで信者を処罰はしない」)という「新しい光」を打ち出しました。

この当時病院勤務をしていた元エホバの証人、マーリン・メルカドさんは、その当時のエホバの証人たちのこの問題に対する態度を回想しています(Free Mind Journal Vol15, no1)。それによると多くの長老や、ものみの塔協会の指導者たちは、交換輸血を回避できる良い方法として、このRh免疫グロブリンによる胎児赤芽球症の予防をエホバの証人の女性たちに推奨していたそうです。しかもその論理は、これは血液からとり出して薬にしたものだからもはや血液ではなく薬である、だから構わない、というものでした。しかしその一方で、この血液製剤を作るには、抗体をもった女性たちの沢山の血液が必要です。皮肉なことにこの抗体を持ったRh陰性女性は特にエホバの証人の間に多くいるのです。それというのも、彼女たちは長年にわたってRh免疫グロブリンによる治療を拒否してきた歴史があるので、それだけ自然の妊娠出産を通して自分たちの体の中に大量の抗体を形成しているのです。一方エホバの証人以外の女性の間には、Rh免疫グロブリンによる治療の普及のために、この抗体をもった女性の数はますます減少しています。そのため同じ献血者が何度も何度も「赤ちゃんを救おう」のかけ声のもとにかりだされるのが現状です。しかしエホバの証人の女性はどうしているでしょう?自分たちの血液が最もこの血液製剤を作るのに適しており、同じ信仰の姉妹たちを助けるのに役立つとわかっているのに、誰ひとり献血する女性はおりません。言うまでもなく統治体が献血を「血の罪」として堅く禁じているからです。

神の教えと人の習慣

この問題はRh免疫グロブリンに限ったことではありません。この他のよく使われる血清製剤でエホバの証人もよく使用するものには血液凝固因子、血清アルブミンなどがあります。いずれも一人のエホバの証人の患者を救うのに何人もの献血者が必要ですが、兄弟姉妹である仲間のエホバの証人は一人としてこれに協力せず、彼らが「世的な人たち」と軽蔑する一般のエホバの証人以外の人々の献血に100パーセント依存しているのです。一体どこにクリスチャンとしての隣人愛があるのでしょう?ものみの塔協会は一貫して血液を供給したり血液製剤を作る機関、たとえば赤十字等の血液銀行を非難し、血の罪の執行人としてその欠陥を「ものみの塔」「目ざめよ!」の両誌でとりあげ続けてきました。しかし現実にはこれらの機関を全く取り除いてしまえば、エホバの証人たちが頻回に使用している血液製剤の供給はストップしてしまうのです。一方において血液製剤を「薬」として使用させながら、その裏でそれを作るのに必要な血液の供出を禁止し、エホバの証人以外の人々の犠牲の上にあぐらをかいているものみの塔の組織とその指導者。この矛盾と偽善に満ちた、彼らの言う「真理」が果たして神から出た教えなのでしょうか?それとも指導者の思いつきで作られ、変えられていく、人間の習慣なのでしょうか ...? あなたもしばらく考えてみませんか?

「こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。」 (マタイ 15:6)