ものみの塔協会は血液分画の使用に関しての方針を再確認する

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ものみの塔協会は、2004年6月15日号のものみの塔誌で、エホバの証人の血液製剤の使用に関して二つの記事を掲載しました。最初の記事は、「命という賜物の価値を正しく認める」と題され、血液製剤の医療目的の使用を禁止する教義の基礎となる、これまで長年の間に何度も述べられてきた伝統的な聖書の解釈を繰り返しています。 第二の記事は、「生ける神の導きに従う」と題され、血液製剤のうちどのような製剤は「受け入れられない」と分類され、どのような製剤は「クリスチャンが各自決定する」と分類されるかを詳細に説明しています。更にこの6月15日号には、4年前の2000年6月15日号のものみの塔誌で発表された重要な記事、「読者からの質問:エホバの証人は血液の小分画を受け入れますか」を巻末に再掲載し、当時の新方針であった、「主要成分」の全ての分画を受け入れて構わないという教義を確認しています。2000年のこの新方針が打ち出された背景には、当時完成間近で、臨床に使われだしたヘモグロビンを使った代用血液の恩恵を、エホバの証人たちが充分受けられるように、ものみの塔協会がそれまでのヘモグロビン拒否の方針を翻して、新たな路線を打ち出す必要があったからでした。

今回の2004年6月15日の二つの記事を検討してみると、そこには2000年6月に打ち出された新方針から特に実質的な変更はないことが分かりますが、そこには幾つかの興味ある点が述べられています。これらは、ものみの塔協会の輸血拒否の方針の本質を理解する上に役に立つので、ここで解説してみたいと思います。先ず第一に、第二の記事は今まで発表されたことのなかった全く新しい図式を登場させ、「受け入れられない」製剤と「クリスチャン各自が決定する」製剤との間に、明確な水平線を引いてはっきりと区別していることです。

「クリスチャン各自が決定する」製剤の分類の中には赤血球、白血球、血小板、血漿の分画が含まれています。この図表は2000年6月の「読者からの質問」と読み比べてみれば、本質的には新しいことはありませんが、この図表では「赤血球の分画」という言葉が初めて明確に示されています。この用語は、実際の医療現場で起こっていることを知るなら、重要な意味があります。すなわち、つい最近まで「赤血球の分画」で医療に使われる製剤は一切無かったのに対し、最近の医療技術の進歩により、ヘモグロビンを材料とする代用血液が、1990年代の後半から開発され臨床で使われるようになってきました。ものみの塔協会は、多数のエホバの証人の失血死を食い止めることができる可能性のあるこの新製剤に希望をかけて、これを広くエホバの証人に使わせることをねらっているのです。ものみの塔協会は、このヘモグロビンが「小さな分画」として受け入れられることをうたっていますが、実際にはヘモグロビンは「受け入れられない」はずの赤血球のなんと97パーセントを占める酸素運搬専用のたんぱく質で、ほとんど赤血球そのものと言ってもいい成分なのです。

この記事のもう一つの興味ある点は、「主要成分」を受け入れられない理由の説明です。詳細にわたって聖書の引用を用いて、いかに医療の目的で血液を受け入れることが許されないかを論じた後で、この記事は次のように結論しています。

2001年の「救急医療」(英語)というテキストの「血液の組成」という見出しのもとには、「血液は、血漿、赤血球、白血球、血小板という成分によってできている」とあります。ですから、医学上の事実とも一致してエホバの証人は、全血の輸血も血液の四つの主要成分のいずれかの輸血も拒みます。(22ページ)

つまりこの「ものみの塔」の記事は、「四つの主要成分」を拒む理由は、「医学上の事実と一致して」いて、その医学上の事実は「救急医療」というテキストに書いてある、というのです。確かに、ものみの塔協会も含めて全ての人が、聖書の中にはどこにも「四つの主要成分」を定義して拒否しなければならない理由は書いていないことは認めますが、それでも大部分の読者は、これだけ重要な決定ですから、しっかりと確立した、確実な「医学上の事実」に基づいていると考えるのは当然でしょう。しかし非常に興味あることに、この記事が引用している「テキスト」は、権威ある医学の教科書ではないのです。この「救急医療」というテキストは、実は救急医療技師(日本では救急救命士と言われる職業に当たる)の専門学校で使われるコースの教本なのです。それではなぜものみの塔協会は、もっと権威があって科学的にも確立されたテキストや文献を引用しないのでしょうか?その理由は簡単です。このような分類は、科学的でも確立された医学上の事実でもなく、ただの医学上の伝統に過ぎないからです。他にもいくらでも血液の成分を分類する方法はあり、それらの方が最近ではより多く使われています。簡単な例をあげて、ものみの塔協会の根拠とする分類が、確立された「医学上の事実」ではなく、単なる一つの習慣であることを説明しましょう。われわれが食べる食品は、幾つかの主要成分に分類されます。一つの分類法では、食物の主要成分はたんぱく質、炭水化物、脂質、無機質、などに分類されます。しかし、この分類法だけがただ一つの「医学上の事実」でしょうか。もちろんそうではありません。この分類は幾つかある食品の分類法のほんの一つに過ぎません。たとえば、私たちは穀物、野菜、肉類、魚類、乳製品、などといった分類も広く使っています。この分類法も前に述べた分類法と同じように意味があって使われる分類法です。これらの分類法は、 私たちが食物というものを理解する上に便利な一つの道具に過ぎません。食物のどのような機能を考えるのかという目的によって、私たちは様々な分類法を使い分けますが、その分類法によって何が「主要成分」であるかは異なってきます。これと全く同じ事は血液の成分についても言えるのです。

血液成分の分類についても幾つかの異なった分類方法があります。確かに血液銀行がよく使う分類法は、このものみの塔誌の記事が使っている四つの主要成分に分ける方法です。しかし、医学の教科書を見れば、血液成分は様々な分類法で分類されます。最もよく行なわれる分類法は、血液を二つの主要成分に分けることで、細胞成分(45%)と液体成分(55%)が二つの主要分画になります。この分類方法は、実際に採取した血液を分画に分けていく時の段階に沿っているます。ものみの塔協会が使う四成分の分類にある血小板や白血球は、普通小さな分画としてこれらの二つの主要成分から二次的な分画として取り出されるからです。もう一つの医学の教科書で頻回に使われる血液成分の分類法は、その化学組成によっています。この分類法によれば、血液の主要成分は水(80%)、ヘモグロビン(15%)、アルブミン(2-3%)グロブリン(1-2%)となります。この分類法もまた同じように「医学上の事実」なのです。

このように医学界で使われている幾つかの血液成分の分類法のうち、ものみの塔協会はなぜか赤血球、白血球、血小板、血漿が主要成分であるという分類法を使用することに決めていますが、もし、ものみの塔協会が医学界で広く使われていて同じ様に「医学上の事実」と考えられている、別の分類法を使ったらどうなったでしょうか。たとえば、「医学上の事実」に基づいてヘモグロビン、アルブミン、グロブリンを主要成分とする分類を、ものみの塔協会が採択したとしたらどうなっていたでしょうか。エホバの証人は血液の「主要成分」は拒否しなければなりませんから、エホバの証人はヘモグロビンを使用した代用血液も受けられなければ、現在エホバの証人が使っていいことになっているアルブミンを使った血漿拡張剤やグロブリンを使った抗血清などは全て拒否しなければならなくなることでしょう。この事実はわれわれに何を教えているでしょうか。

それは、医療現場で血を流しているエホバの証人が、ある血液製剤を受け入れられるか否かは、ものみの塔誌が長々と論じている聖書の教えや聖句とは一切関係なく、ものみの塔協会が医学界で伝統的に使われている血液成分の分類法の中からどの分類法を採択するかという、そのただ一つの決定にかかっていることです。一つの分類法である赤血球、白血球、血小板、血漿という分類を採択すれば、現在医療現場で使われている血液製剤の大部分は、「クリスチャン各自が決定する」、あるいは良心に基づいて決定するという範疇に入ることになります。これは現代の医療技術では、これらの血液の一次分画は必ず加工されてから製剤として提供されるからです。しかし、同じ様に広く使われている、化学成分に基づいたヘモグロビン、アルブミン、グロブリンという分類法を採択したとすれば、現在医療現場で使用されている血液製剤の多くのものは拒否しなければならなくなります。なぜそうなるかというと、化学成分に基づいた血液成分の分類の方が、現代の血液製剤の製造に使われる生化学の技術に則しているからです。しかし、この別の分類法を使えば血小板や白血球は受け入れて構わない成分に分類されます。なぜなら、血小板や白血球などの小さな分画は化学成分に基づいた分類法では主要成分ではなくなるからです。つまりもし、ものみの塔協会が現在の医学技術により則した、化学成分に基づいた血液成分の分類法を使用することに決めていたとすれば、ヘモグロビン、アルブミン、グロブリンは全て拒否しなければならなくなりますが、血小板や白血球は「クリスチャン各自が決定する」ことになるのです。

このように、血液製剤の何が受け入れられて何を拒否しなければいけないか、そしてそれはどの患者が助かりどの患者が死ななければならないかも決めることですが、この決定は実際には、ものみの塔協会の指導部が、幾つかある血液成分の分類法の中からどの分類法を採択して、何を「主要成分」と決めたことに全てがかかっていることが分かるのです。この決定は、聖書の教義とは一切関係ありませんし、現代の血液の医学とさえも関係がないのです。ほとんど唯一の決定要素は、ものみの塔協会の指導部がどの分類法を使って主要成分を決めたか、なのです。ものみの塔誌の何ページをもさいて長々と聖書の議論をいくら繰り広げた所で、実際に救急病院で行なわれる生きるか死ぬかの決定に関与するのは、これらの聖書の教えではなく、ものみの塔協会の指導部が、多くの選択肢の中からどの血液製剤を「主要成分」と決めて禁止しているかにかかっているのです。何とも皮肉なことは、「生きる神の導きに従う」という題名のこの記事が教えている医療上の決定は、単にものみの塔協会の指導部の人間による決定と、古くからある伝統に従っているだけであるということです。もし、ものみの塔協会が現代の血液製剤の技術により則した血液成分の分類法を取り入れることに決定したら、世界中で1000万人を超えるエホバの証人とその追随者たちの生と死は、全く異なったものとなることでしょう。そして、究極の疑問は、今も世界の各地で起こっている輸血拒否によるエホバの証人の死は、本当に聖書の教えに従った死なのか、それともものみの塔協会の指導部の思いつきによって作られたルールによって死んでいるだけなのかという疑問です。


文責:村本 治

参照文献

ものみの塔誌2000年6月15日号の血液に関する『読者からの質問』の質疑応答

血液成分とは−エホバの証人は血液の何を拒否しているのか

Muramoto O. Bioethical aspects of the recent changes in the policy of refusal of blood by Jehovah's Witnesses. British Medical Journal 2001; 322: 37-39 [Full Text]

Muramoto O. Recent developments in medical care of Jehovah's Witnesses. Western Journal of Medicine 1999; 170: 297-301 [Full Text]